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武宗を知っていただくためには、まず山上のことを知って頂くことが必要となります。

どうやって山上が誕生し、今も成長し続けるのか。その歴史を山上、そして武宗へと紐解いてまいります。

社名は創業者二人から

山上とは昭和11年、「山中武平」と「上西宗八」の両家の屋号の頭を一文字ずつ取り誕生した漬物屋です。

昭和23年には「有限会社山上商店」、昭和37年には「株式会社やまじょう」と名を変え、規模を拡大しつつ成長。

平成20年には、漬物問屋を通じ全国に漬物を卸すメーカーとしての「やまじょう」と製造直売の「山上」に名前を分けました。

彦根への出店が
未来の新たなキッカケに。

平成22年、滋賀県近江八幡市に「山上 日牟禮店」を開店しました。

平成24年、滋賀県彦根市に彦根城の別名である金亀城を用いた「山上 金亀城町店」を開店する。

そしてこの彦根の地への出店が、山上の運命を大きく変えることになります。

元々彦根は、徳川家康の配下である井伊の大老が治めていた土地であり牛や馬の革を使い戦闘道具を作ることが許されていた場所でもあります。

宗教上は肉を食べることが禁じられていましたが、革を取れば必然的に肉が余るもの。

当時から食用ではなく薬として味噌漬けを食べたり、健康のためと理由をつけてお城に献上したりと味噌漬けの歴史がある街なのです。

そして今もなお、味噌漬けは彦根の名物のひとつとして多くの人に愛されています。

もともと山上は、近江八幡であれば近江八幡の伝統野菜・北之庄菜を。彦根であれば、すぐ隣の米原の伝統野菜・赤丸かぶを、と地域の特色を大切にする会社。目指しているのは、地域のお店として、地域の方に愛されるお店です。

その思いと共に「山上 金亀城町店」開店を決めた時点で、肉の味噌漬けを販売したいという構想が持ち上がります。

しかし、山上という名前が産まれる以前、大正時代後半には味噌麹屋を行っていたという歴史はあるものの、現在の山上は漬物屋。

難易度の高い肉の味噌漬けの前に、野菜の開発を重ね「彦根 金亀城町店」開店に合わせて、店舗限定の味噌漬けの販売を開始していきました。

その際の商品は、滋賀県湖南市下田地区の伝統野菜である下田なす。そして、大根とキュウリの3品。お客様の支持を得て、安定した製造が可能になったことを機に肉と魚の味噌漬けを加え、平成27年、味噌漬けブランドとして「武宗」が幕を開けます。

屋号も創業者二人から

武宗も山上と同じく創業者の屋号の名前「武平」「宗八」から一文字ずつ取り名付けました。

80年を超える漬物屋「山上」の歴史に、新たに加わった近江味噌漬け「武宗」としての第一歩。

そこには10年、20年先を見据えて、歴史に名を残すブランドに育てて行くという力強い思いを込めて。

多くの肉屋が、近江牛の味噌漬けを製造販売している中で、武宗ができることは?

もちろん肉の扱いは、肉屋がプロでありますが、漬物は我々漬物屋がプロです。肉屋が選別した美味しい肉を使うことができれば、絶対に漬物屋の方が良い味噌漬けをつくることができる。

できなければ駄目なのです。だからこそ、武宗は野菜だけでなく、肉や魚の味噌漬けの開発に取り組み、そして今後も、新しい味噌漬けの開発に挑戦し続けてまいります。